昭和61年 養老線(その2)

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とはいえ鉄道らしい旅の楽しみ方といえば、やはり時刻表を旅する人々か。

その旅人はなんといっても宮脇俊三さんがその代表格で、出世作である「時刻表2万キロ」「時刻表昭和史」この2冊はいったい何度読んだことだろう。

特に時刻表2万キロの乾いたユーモアというか、舌打ちしたくなる失敗を上品な笑いに変えていく練達の文章術。この頃、これを読んだ大人たちはおそらくそのユーモアに感心し微苦笑していたんじゃないかと思うが、僕は少し違った。

この本が出たのは昭和53年、僕が小学校6年の時。さすがにその時には読んでいないが河出文庫の初期の版を持っているから中学の頃に読み始めたと思う。10代半ばであろうか。

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今、乾いたユーモアと書いたが、愚痴の連続になってもおかしくないような出来事の中で、なんて言うのだろうか失敗やアクシデントで我が身や他人を呪うではなく、旅行という非日常的な世界の中で自らが劇を演じているような感覚、そこにある明るい孤独感というか、重さを感じさせない漂泊感というもの。世の中を知り始め、それにどのように折り合いをつけていくべきかが判らない10代の頃、紙背にあったそのようなものに惹かれていた。それは自分にとっては共感というよりは救いに近いものだった。辛いことがあるたびにこの本を開いては慰めを求めていた。いやそれは10代の頃だけではない。今に至る人生、苦しい時が繰り返されるたびにこの本を手に取りなんとか切り抜けてきた。

そういった意味では「時刻表2万キロ」は青春の書というだけではなく自分にとっては人生の書、そう思っている。

# by michikusajinsei | 2017-09-23 14:52 | 近畿日本鉄道 | Comments(2)

昭和61年 養老線

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地形や方位に詳しい人というのはいる。

例えば大規模な建設現場仕事の場合、目印となるようなものは普通はないから自然に方位で位置を確認するようになる。会話の中で「エリア何番の東側に明日の朝一番、10トンクレーンを持ってきてきてくれ。」といった按配である。

地形に詳しいといえば、この週末に友人夫婦と京急に乗っていたのだが、弘明寺に着いた時「京急って尾根伝いに走るのね。横浜の電車では珍しいな。」と別に鉄道などに興味がない夫婦のそのご新造さん、この区間を乗ったのは初めてだそうだが、にもかかわらずそんなことをいきなりのたまって一寸びっくりしたりする。

実は僕はこういった方位や地形は苦手で、前者のような場合は判ったふりをして席に戻って図面を確認するのが常だったし、後者で言えば、50年近く、京急のその区間を利用しながら言われるまでその特徴をまったく気がつかなかった。

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鉄道趣味にもまた、そういう志向の人たちがいる。いや鉄道だけではないかもしれない。いわゆる「地図を旅する」のが好きな人々である。

こういう人と一緒に例えば多摩川沿いを走る南武線に乗ると「南武線って河岸段丘に沿って走るよね。地図を見てその高低差から、次の駅までどういう車窓が展開するかを想像すると楽しいよね」なんて言われるが、こっちは楽しいとかつまらない以前の問題。まったくその心情がわからなくて、曖昧な笑いを浮かべてごまかすというか、別の話題を必死になって考えていたものであった。

# by michikusajinsei | 2017-09-20 07:17 | 近畿日本鉄道 | Comments(0)

昭和63年 BARCERONA(その4)

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数日前になるが、仕事でパソコンの画面を見ていると注意喚起のメールが流れてきた。

10月1日にスペインのカタルーニャ自治州で独立の賛否を問う住民投票が行われる。もし独立派が勝利するとその地域はEUに属するのかどうか不透明で特にバルセロナ港で出荷するものがある場合、出荷が停滞する可能性があるので場所を変えたほうがよいというニュースだった。

自分の担当している仕事そのものに影響はないニュースだったが、なんともいえない感慨があって、しばらく仕事の思考を中断して記憶の中のバルセロナを蘇らせていた。

僕がこの街を訪れたのは昭和63年、1988年。大学3年のときである。

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泥臭いイメージの濃かった当時のスペインの中で、バルセロナは他の都市とは違う垢抜けた印象がある。ガウディの建築や、ヨーロッパサッカー界の巨人であるFCバルセロナの試合を見たくて訪れたバルセロナであったが、思っていた以上に近代的で明るく豊かな都市だな、と思った記憶が有る。

今はそうでもないらしいが当時は治安も良く、また料理も美味しくて貧乏旅行でもとても快適に楽しく過ごすことができた。上に書いたように鉄道を目的として訪れたわけではないが、それでもひとつ楽しみにしていたのがこの写真の路面電車。

季刊になって早々の「THE Rail」で堀淳一さんによって紹介されていた路面電車。トロリーポールにドアのない運転台、湾曲した車体に屋根は2段重ね、と明治期の日本の路面電車の特徴そのものである。というか機関車と異なり路面電車のデザインは各国とも似たようなもの。それもあってか見たこともないのに親近感のある姿で、でもさらに粋なのは濃い青に白地の窓枠の塗装。この車輌が終点の丘の上で南欧の日差しの中に佇んでいる姿はまさに絵画の如し。今でも忘れ得ぬ鉄道情景のひとつである。

# by michikusajinsei | 2017-09-16 12:06 | スペイン | Comments(0)

昭和63年 BARCERONA(その3)

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前回のブログを書いた後、手許にあるそのころの鉄道ジャーナル、昭和52(1977)年2月号を読み返してみたが、何というか懐かしいというより一つ一つの記事の内容の濃さに思わず唸ってしまう。

野村さんの例の「君よ知るや南のレーサーたち」は大軌参急近鉄と鉄道省国鉄対決編。文節タイトルには「今は昔の語り草 伊勢参宮レース、神風ならざる電車旋風」といかにも野村調の文句が並ぶ。

佐々木さんの連載はポスターの一つ前「夢多き世界の特急列車」というものだが、この連載の表紙の言葉、少年のころには目に入らなかったが40年経った今、思わず瞠目してしまった。曰く

「鉄道趣味への入門とは何か?ーという問いに対して その一つの答えを探し求め あえて挑戦する冒険的エッセイ

カメラとペンを手に徹底したファン気質の筆者が 大きなテーマに取り組んだダイナミックな連載力作。その永年にわたる資料蒐集の一端も加え自由奔放なペンと絡みあって鉄道趣味の醍醐味が展開されていくのである。」

竹島編集長の枕詞とともに、写真、書籍、絵葉書。ポスターあるいは切手。パブリックリレーションを求める媒体に描かれた汽車電車と自身の体験が時空と空間を超えて自由自在に行き交う。イタリアの名車、セッテベロの乗車体験がそのまま往時の国鉄山陽特急、しおじの展望室乗車体験の回想へとつながるといった調子の華麗な世界はまさに圧巻。この言葉以外に言うべきことはない。
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連載を楽しみにしていたのは、このお二方だけれどもそれ以外にも少し成長して読み返すようになってから鉄道の面白さを知った連載もあった。

田邊幸夫さんの「車両とともに30年」、山之内秀一郎さんの「ヨーロッパの鉄道と列車の旅」である。野村、佐々木の両氏が在野のファンであるのに対し、この両氏は国鉄マン。だからというわけではないが、個人的に思い入れのある車輌や鉄道の魅力を熱く語る野村調、鉄道と芸術の間を自由自在に行き来して事実なのか幻想なのか時に幻惑される佐々木調に対し、自分の目で見てきた鉄道車輌や鉄道風景が淡々と描かれている。そこにはまず好き嫌いが先にあるファンの感覚とは違う職業人としての車輌や鉄道への観察があり、それらは少し背伸びを始めた自分の知識欲を刺激した。

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田邊氏が在職された大井工場は通常の電車検査保守業務の他に電車や客貨車の改造、御料車の保守を担当していたので、毎号、珍しい車輌の記事が掲載されていた。また時代も戦中戦後の変動期。学校で習う歴史ではでてこない時代の一断面、軍の存在ーそれは帝国陸海軍でもあり占領軍でもあるーが連載の随所に垣間見え、歴史というものに興味を持ち始めた自分に戦中戦後という空間の特異性を最初に教えてくれたのはこの連載だったと思う。ちなみに、この号の記事で取り上げられた車輌は、内装が徹底的に簡素化された戦時用国電試作車クハ79、海軍から発注された爆弾搭載用貨車ワキ700、陸軍から発注された高射砲装架車、それに三軸無蓋貨車への改造となったトキ66000といった戦時用車輌である。

また山之内氏の連載は、特に英国鉄路の紹介が印象に残る。正直なところ国有化後の英国型の車輌に格好良さを感じることはないのだが、例外がひとつありそれがプルマンカー。この号ではないがその存在を知ったのはこの連載。美しい木目地に柔らかそうなソファー。正に動く応接間と形容するしかない車内、スカイブルーの塗装に銀の紋章が入った外観に他の鉄道車輌にはない独特の気品というものが感じていた。その列車の名称「Blue Pullman」はこの連載から40年以上経った今でも自分にとって見たい、乗りたい憧れの車輌の一つである。

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またそういった筆者の個性が横溢する連載とは別に鉄道ジャーナル独自の視点で作られた連載もある。

「名列車誌上リバイバル」

この号は初の東北特急である「はつかり」の物語。名列車、あるいは名門列車、今となっては死語に等しい語感だが、この頃まではその線を走るエースともいうべき列車があった。東北本線を走るはつかりはその中でも横綱格。しかしそのデビューは蒸機の時もディーゼル特急の時も波乱万丈。初のディーゼル特急が初期故障に悩まされたのは有名な話であるが、蒸気機関車牽引の客車特急も台風の影響で運行開始が遅れている。そしてその当日も沿線に未だその爪痕が残る中で時刻に遅れて青森を進発、尻内(八戸)ー盛岡間109キロ、仙台ー平間150キロのノンストップ運転。前者はその間に奥中山の峠越えがある。遅れを回復するために出力を出せば水、石炭の消費量は増える。しかし東北人待望の特急列車の門出を何としても成功させたい。そういう想いで運行を支えた国鉄マンの努力が功を奏し、当初の遅れを回復して定時に上野に到着する姿を描いた一文は今読んでも緊迫感溢れる筆致に胸が熱くなる。

もう一つの名物記事である「ドキュメント・列車追跡」

こちらは丹後路をいく「あさしお1号」。”特別”急行列車という風格の「はつかり」のような列車とは違う、乗り合わせたお好み焼き屋のおばちゃんたちのおしゃべりが今にも聞こえてきそうなのんびりとした車内の描写が、今となっては貴重ななんでもない昭和中期の日常記録そのものである。

最後になるがこの号の特集記事は「(続)現代の主役 特急列車」後にJR東海の社長になる須田寛さんが経営面から全国展開していた在来線特急網の特色をまとめられていたが、さすがにこれは当時は読み飛ばしていたのでグラビヤの特急列車の写真を眺める程度である。

この後、自分の鉄道趣味は「とれいん」松本謙一さんの独特な趣味観、世界観に導かれていくのだが、改めてこの当時の鉄道ジャーナルや鉄道ファンを読み返してみると「三つ子の魂百まで」ではないが鉄道に限らずその後の自分の興味が向く方向の母体はここにあったというか、この二つの雑誌の影響で自分自身の人生観というものが決定づけられた、大袈裟かもしれないがそんな思いがする。

# by michikusajinsei | 2017-09-10 16:48 | スペイン | Comments(0)

昭和63年 BARCERONA(その2)

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鉄道雑誌を読むようになったと言っても小学生にとっては高価な書籍である。小遣いではおいそれと購入できる額ではない。だから最初のうちは2ヶ月に1冊である。その月の21日になるとそれこそ待ち焦がれて購入し、興味があるなし、判る判らない関係なしにボロボロになるまで読み込んだ。

そのうちに親も鉄道雑誌が子供用の本ではなく大人向けの雑誌であることが判り、漫画や児童向け雑誌よりは勉強に役立つようになると思ったのか、小遣いとは別枠で毎月1冊は資金を出してくれて小遣いと合わせて隔月で2冊、読めるようになった。

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そうなってくると読解力は不足しても記憶力は確かな子供の頭である。号を読み重ねてくるといつしか常連投稿者の方というものが判り、その方々の記事を楽しむようになった。具体的にその名を挙げると佐々木桔梗と野村薫のお二方である。

文体は違うが、いずれも旅や走る車輌の描写。車窓であり、駅頭でもあり、線路際、そしてまた時には路面電車が走る街角、時代も1930年代から70年代まで。添えられている写真と共に読むと行ったこともないのにその風景や車輌が目に浮かんでくる。

その頃の鉄道ファンであると野村さんであれば食堂車特集号の古今東西食堂車の味食べ比べ、佐々木さんであれば上野駅特集号でのC51。鉄道ジャーナルだと野村さんは以前も書いたが南海、阪和、近鉄の歴史物語「君よ知るや南のレーサーたち」、佐々木さんは「鉄道趣味の内側と外側 ポスターと書物のドラマ」という二つの連載記事。そういった記事がとりわけ印象深い。

特に佐々木桔梗さんは書籍の装丁も手がけられることからかページそのものの構成が美しくて、というか正直に言えば扱っているテーマが高尚過ぎて中身を読んで理解していたとはとても言えないが、眺めているだけで時間を忘れてその世界に引き込まれている自分がいた。

そう例えて言えば本を読んでいるというより音楽を聴いていて感じる陶酔感に近いものを感じていた。

# by michikusajinsei | 2017-09-02 15:16 | スペイン | Comments(0)