平成2年 京阪電車(その2)

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最も京阪電車が地味だったというのは単なる関東在住者の印象にしか過ぎない。たまたま昭和中期の関西私鉄はプロ野球球団を持っていて、それほど野球に興味がなくてもなんとなくそのイメージが湧いたのに対し、在阪大手の中では京阪だけがそれを持っていないので親近感が湧かなかったということもあったと思う。

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しかし実際のの京阪は、その沿線開発や路線網の整備、堂々たる車輌群、どれをとっても第1級の私鉄にふさわしい陣容建てである。

これも勝手な思い込みというか思い入れというか、阪急や阪神と違いスピードの優位性がそれほどない京阪に抱いていたのは優雅さ、それが少し過度な褒め言葉ならば余裕というものだろうか、豪華という言葉ではないけれども国鉄はもちろん阪急と比べてもワンランク上の車内造作でゆったりとしながら快適に京阪両都を結ぶ、そんなイメージである。そしてその中心にいたのがテレビカーという名のロマンスカー。3000系でありその後継車である8000系である。

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外観的には旧来の3000系の方が好みであるけど、車内の造作はこれはもう8000系が圧倒的。登場して30年近く経ち、10年ほどまえには更新改造を受けているそうだが、日本全国古今東西、特別料金不要で乗れる列車では最も豊かな車輌だろう。この車輌のゆったりとした座りごごちの椅子に腰を下ろして石清水八幡宮界隈の景色をボーっと眺めていると、他の私鉄では味わうことの少ない時間を費消することの楽しさを覚えるのが常である。

# by michikusajinsei | 2017-05-22 12:22 | 京阪電車 | Comments(0)

平成2年 京阪(その1)

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僕が小学生の頃、昭和50年代の関西私鉄の存在感は格別のものがあった。なんて言うのだろうか、あの頃の関西私鉄を思うと僕の頭の中には土地柄もあって桃山文化の華麗な屏風絵のようなきらびやかさが浮かんでくる。それはただ車輌が格好いいだけではなくて、沿線の情緒や各社の運行思想がもつ独特の個性が強烈で、そういう要素が薄くてただ大量輸送に追われている当時の関東圏の電車に囲まれていた自分には憧れの存在だった。

日本を代表する鉄道と言えばもちろん新幹線だったけれど、運行していた車輌の質、ネットワークの肌理の細かさ、ターミナル駅を筆頭にした施設と沿線開発の質の高さ、そして運賃の安さ。

経営再建をめぐり右往左往していた国鉄と比べ明らかに数段高い位置にいたのが当時の大手私鉄、中でも関西大手の阪急、阪神、近鉄、南海、そして京阪の5社だった。

ただ正直なところそれらすべての関西私鉄が興味があったわけではない。やはり注目の的だったのはスピードかロマンスカーの華やかさ。前者が阪急、阪神。後者がビスタカーの近鉄とデラックスズームカーの南海である。

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車内設備はさておいてスピードという点で、当時国鉄在来線で最高速度を誇ったのが特急ではなくて京阪神間の新快速、それに伍して競争していたのが阪急・阪神。いずれも特急券などいらない普通運賃だけで乗れる列車である。それはある意味、胸のすくような痛快さでもあった。

それに比べるとスピード面で京阪に何か特徴があったとはとても言えない。私鉄の紹介文などを読むとスピードがないぶん、三条京阪と淀屋橋という京阪両都の繁華街中心部にターミナルが立地することでそれを補っていると書かれても土地勘の薄い関東の小学生にはいまいち訴求力の欠けるものだった。

# by michikusajinsei | 2017-05-15 20:40 | 京阪電車 | Comments(0)

昭和63年 北海道

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ひよっこの主題歌「若い広場」のワンフレーズ「さなぎは今、蝶になってきっと誰かの腕の中」

「女の子って、大人の美しさを身につける前の高校生の頃って少し太めになるのよ。体重はそれほど変わらないのに何故かね。自分たちはそれで色々と悩むんだけど、やがてある程度までは自然に痩せてくるの。あれって今から考えると不思議ねえ。」以前、職場で雑談していた時、そんなことを言っていた女性がいた。

ひよっこの有村架純はとても懐かしい雰囲気をまとっている、いや彼女だけではない出てくる若い俳優みんな全てが懐かしい匂いがする。最初、それは演出による昭和の匂いとも思ったが、それだけではない何かがある。

それは認めたくはないが、自分が失ってしまった若さ、その若さとは、ひたむきさであり、また垢抜けないけれど素朴な健康美じゃないだろうか。そしてそれは正にこの年代、10代後半の数年間なだろう。このひよっこというドラマではその若さがなんの飾り気もなく正面から描かれている。

ただ懐かしいのはそういった容姿だけではない。

実は偉そうに10代の乙女のことを書いたが、男子校出身の僕は正直なところ、自分が10代だった時の同世代の女の子のことは殆ど知らない。僕が知っている彼女たちは、地元でも旅先でも、列車の中の姿。特に地方の列車は下校時の車輌は高校生でいっぱいだから、その車輌に乗り合わせると彼女たちの姿が眩しくて訳もなく気恥ずかしく感じたのを昨日のように思い出す。そして列車の中で見かけた昭和の女学生たちは日本全国どこで出会っても、他愛のない話題で盛り上がり快活でよく笑っていた。そして今振り返ってみると、あの頃の車内に満ちていたざわめきは、ポケベルに始まりラインに繋がる彼女たちのコミュニケーション革命で今となってはもう感じることができない昭和の失われた感覚の一つかもしれない。

しかし、そんな時間はやはりすぐに終わってしまう。

http://anosyaryo.exblog.jp/20482753/

自分のブログ第一回の記事のリンクを張るが、夏休みの昼下がりに見た風景は春休みの夜汽車や連絡船では一変していた。今でも忘れないのが青函連絡船の上り便、函館を夕方に出て青森発夜行に接続する便の2等桟敷席。制服姿にあふれ一見すると修学旅行の団体のようだが、どの顔も不安感と寂寥感に満ちていた。ある意味、僕はその集団に大きな衝撃を受けた。自分がふらふらと遊んでいる一方で、同年代のある人たちは実家を離れ就職し自活していかなければならない。思えば僕が初めて出会った社会の現実である。

ひよっこも今月から上京生活編に変わった。ゆっくりと人間関係が広がり、そしてまた成長していく姿が展開されている。このドラマの展開が毎日待ち遠しくてしかたない。

# by michikusajinsei | 2017-05-10 22:59 | 北海道 | Comments(2)

昭和61年 野上電鉄 山陰本線


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男性では珍しいかもしれないが、僕は朝ドラの熱心な視聴者である。

きっかけはシンガポール赴任である。シンガポールは日本との時差が1時間、NHKの海外放送は定時ニュースや朝ドラ、大河ドラマなどは日本と同時間帯に放送しており、シンガポールでは午前7時15分、ちょうど朝ドラが終わった頃合で出勤時間になることからニュースを切ることなく、ながら見をすることから生活が始まったのである。

そしてまた、自分の赴任と同時に始まったのが近年の朝ドラ復活の端緒となった「ゲゲゲの女房」だったのも幸いだった。水木みのる夫妻の生涯を描いたこのドラマは作り物を超えるリアリティーがあり、また時代的にも自分の少年期が多く描かれていたこともあって興味が尽きなかったからである。以降、あまりにも話が荒唐無稽過ぎた「純と愛」を除いて毎回見てきた。

そんな朝ドラ自分史の中で一番は何と言っても「カーネーション」尾野真千子の繊細で思いつめたような演技ときめ細かい脚本が印象深い。それから「マッサン」と「あまちゃん」が続く。「あまちゃん」は役者の演技よりもある意味、震災という事実の重みと同時に50歳前後の自分たちの青春時代を振り返らせてもらうような趣があったし、「マッサン」はヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスの感情豊かな演技が素晴らしかったからである。特に戦時中に官憲が彼女を拘束しようと踏み込んできたときのアリアは圧巻で、その日の午前中は仕事にまるで身が入らず深い余韻に浸っていたのを思い出す。

ただ最近の朝ドラは役者や素材は良いのに脚本が雑というか人物造形や時代背景の作り込みが浅くて少々食い足らない思いがすることが多かった。
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そんな停滞を感じさせる中で4月から始まった「ひよっこ」

これが予想外に素晴らしい出足である。

まず音楽がいい。タイトルの歌は桑田佳祐。正直、サザンの歌はあまり好きではないが、この曲は昭和中期の歌謡曲に賛歌を捧げるようなメロディーと歌詞が素敵だし、劇中に挟まれる宮川彬良の音楽もシーンにマッチした抒情的な曲に佳曲が多くて聞いていて心に残る。

肝心のお話はまだ始まって1ヶ月であるので総括的な判断は難しいかもしれないが、上に書いた不満、人物造形と時代背景の描き方がとても自然で、また役者の演技がそれをうまく具現している。古谷一行の祖父のもつ丸みや木村佳乃の慎ましい母親ぶりは、ここのところ変な家族関係ばかり登場させていた朝ドラの流れを正しい(?)昭和のある家族の姿を描き何度もせつない気持ちを抱かせる。

ただそんな静かな生活を描く中で、特に素晴らしかったのは木村佳乃が失踪した夫を探しに上京し警察に相談し行ったときのアリア、

いばら「き」です。
「いばらぎ」じゃなくていばら「き」です!
谷田部実といいます。

わたしは、わたしは、出稼労働者を一人探してくれと頼んでいるのではありません。
ちゃんと名前があります。

茨城の奥茨城村で生まれ育った谷田部実という人間を探してくださいとお願いしています。

ちゃんと・・・ちゃんと名前があります!お願いします!
あの人は絶対に自分でいなぐなったりするような人ではありません!

お願いします!お願いします!
探してください!お願いします!

日本ではシンガポールと違い出勤前に見るわけにはいかないので帰宅後に見ているのだが、このシーンの木村佳乃の必死さの演技には大げさかもしれないが鳥肌が立ち息を呑んでしまった。物静かで感情を見せることは少ないがいざという時に見せる芯の強さ、感動という言葉では言い尽くせない感情が自分の中を走った瞬間である。

今回の写真は白熱灯が鈍く輝く昭和の夜汽車(実際は電車だが)と行商姿の女性の後ろ姿。30年前にこれを写したころ、こういった高度経済成長以前の情景にまだ各地で出会えた。ある意味、好奇心から自分の中では新鮮な情景ではあるが一方でこれらに旧世代の泥臭さを感じたのも(未熟としか言いようがないが)正直なところゼロではなかった。

しかし今となっては、どちらも見ること、感じることの叶わない懐かしい光景である。そしてまたバブルという時代にもこのような風景があったのも昭和日本晩年の時代相である。

# by michikusajinsei | 2017-05-04 15:19 | 野上電鉄 | Comments(6)

昭和62年 山陽本線

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少し前になるが、鉄犬さんのお導きで知遇を得、兄事させていただいているシグ鉄さんとCedarさんのお二人の間で鉄道写真の様式で論戦(?)が展開されていた。曰く「後ろか前か」である。

もちろん昨今、時折目にする言いがかりのような「炎上」騒ぎとは無縁の論陣だったがそれぞれの視点の違いが見えてとても興味深かった。そして自分自身はというと特に写真の様式に好悪があるわけではなく、せいぜいCeadrさんがおっしゃるところの正統派列車写真を「絵葉書写真だな」と思って軽く揶揄していた程度である。だからと言ってそれが嫌いだったわけではない。今回の写真を撮影した場所である山陽本線の戸田ー富海は大好きな撮影地で、その場所の特徴はというときれいな列車写真を撮るには絶好の撮影地だったからである。

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この撮影地を知ったのは「C59」という写真集にあった中島忠夫さんという方の撮影した列車写真であるが朝もやをついて快走する急行列車のスピード感が生き生きとしていて何度見ても飽きず、初めてその地に立ってブルトレ特急を見たときには全く同じ世界が展開していて感激に震えたものだった。

今回の写真に先立つ数年前、高校2年生のときである。

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その頃の写真はまだスキャンしていないのだが、殆どの写真は普通の列車写真だったはずである。ただ同時期に、もう一つ影響を受けていたのは鉄道写真の神様、廣田尚敬さんの写真であり彼が発明した流し撮りという手法である。これは一生懸命練習した。とにかく自分は写真の中に動きが欲しかった。

そしてまた、シグ鉄、Cedar両師が撮り方の違いを越えて求めているものも車輌の動きではないかと思うのである。

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僕たちの世代は鉄道写真愛好家としてはポスト蒸機の第一世代である。蒸気機関車は煙やロッドの動きである程度、写真の中で動きというものを表現できた。しかし電車、気動車は基本的にはそのような要素はない。ただ撮しただけでは動いている車輌の魅力というものが伝わってこないのである。その中で目の前の車輌の躍動をどう撮すか、それが特に語らったわけではないが暗黙の了解で僕たちが意識していたことだった。

流し撮り以外でも例えばそれを打破する試みで動きの表現という点ではバルブ撮影による光跡の表現という写真も一時期流行したが車輌が写っていないので僕にはあまり興味が惹かれなかった。

写真の中にどう列車の動きを伝えるか、そういった世代的な環境の中で自分たちはどんな視点で鉄道写真を撮るべきか。その模索で自分たちの写真技法をどう昇華すべきか。あの時代の鉄道写真好きな学生は腕は未熟だったけれどそう考えてあれこれ試していたのではないか。格好つければそんな時代と世代だった、そんな風に思えてくる。

立って、或いは座って、カメラを横にし縦にし、シャッタースピードを変え色々な写真を試した。正面勝ちも追い掛けも、線路に近づき或いは離れ様々な視点と格闘した。

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そんな試みの中で自分が大きな影響を受けたのは、戦前派鉄道写真界の巨人、苗村武さんと西尾克三郎さんである。また鉄道写真ではないがヨーロッパの建築写真で一世を風靡した田原桂一さんである。

「ローアングルの苗村」

自分は密かにそう名付けていたが、苗村武さんの心持ち見上げるような画角の写真は平凡な列車写真を一瞬にして躍動感を感じさせる被写体に引き上げていた。

「光の魔術師、西尾と田原」

田原さんは建築、西尾さんは列車写真ももちろんたくさん残されているが真骨頂は機関車の肖像写真である。これらはただ撮すだけでは鈍重な塊でしかない。それらの中に光をどう導き何を浮かび上がらせるか。彼らの手にかかると一瞬にして機関車や建築の浮かび上がらせるべき部分、部分が文字通り光り輝き、生命力のあるオブジェクトに変化する、そんな印象を抱いていた。

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もっとも影響を受けたと言ってもそれが消化できたわけではない。ただ朧げながらわかってきたことはその二つ、光の捉え方であり、被写体の位置をどこに置くかである。

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EF66を撮したこの5枚、多分、そんなことを考えながら撮っていたのだと思う。刻々と変わる光の中でどう撮るか。成功しているかどうかは別にして正面勝ちでは普通のスタンディングポジション、心持ちローアングル、そして後ろ向き写真。どれも平凡な構図で特筆するような写真ではない。しかし他人にはともかく自分にとってはその頃の悪戦苦闘が思いだされ甘くもあり心持ち苦い気持ちがよみがえってくる写真でもあるのだ。

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特にパンタグラフが切れてその意味で失敗作ではあるが、この一枚、後ろからローアングルで追いかけた写真、動きを表現するという点においては自分の中でも気に入っている写真の一枚である。

# by michikusajinsei | 2017-04-29 15:41 | 山陽本線 | Comments(2)